「分かってもらっている安心」 08.07.06
ヨハネ 10:7〜18
<わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、
羊もわたしを知っている。…わたしは羊のために命を捨てる。>(14-15節)
良い羊飼いというのは、自分の羊を知っている羊飼いです。
羊飼いは、自分の羊一匹一匹に名前をつけ、名前で呼びかけます。
羊はみんな一緒なのではありません。主イエスは、かけがえの
ない一匹を見つめるまなざしを、あなたに向けてくださっています。
羊飼いは、羊が求めていることを見抜きます。それに応じて、
必要なものを与え満たします。主イエスもあなたの求めを知り、
必要を与え養ってくださいます。更に主イエスは、ご自分の羊で
あるあなたの心の中の罪も、弱さも見抜いておられます。
主イエスは、その時、弟子たちの誤解の数々や、後に主イエスを
裏切り逃げ出してしまう弱さを見抜いておられたでしょう。主イエスは、
たとえ弱さを抱える羊であっても、投げ出すことなく導き抜かれる
良い羊飼いです。
弟子たちの罪や弱さをご存知の主イエスが、「羊もわたしを知って
いる」とおっしゃいます。どういうことでしょうか。今は分からなくても、
いづれは分かるように成長していくということではありません。
羊は、自分では何もできませんが、自分がどの声に従うべきかを
知っているのです。主イエスは、「それでよい」とおっしゃるのです。
良い羊飼いのもとにいる羊は、その声の下に身を置いていれば
よいのです。羊飼いが養ってくださるからです。
キリスト教の信仰は、聖書を理解し知識を増やすこと以上に、
どの声に聞き従うべきかが分かっていることです。自分の欲望の
声やこの世の声など、さまざまの声が向かってきます。
そこで、主イエスの声に聞き従えるかどうかで、人生は大きく
左右されます。
主イエスは、「あなたはわたしの命より大事だ」とおっしゃり、
滅びでなく救いに入れられるようと十字架にかかって死んで
くださいました。 私たちは、その深い愛に包み込まれて、
安心して生きていきます。